三関さくらんぼの歴史

三関さくらんぼ画像
近頃は農産物の輸送体制がしっかり確立しておりますので、都市部のスーパーでもさくらんぼは入手できるようになりました。
しかし、本当に甘みのある完熟さくらんぼをスーパーで入手することは困難です。
サクランボは非常に傷みやすい果実であるため、収穫してから店頭に陳列するまでに時間が掛かりすぎると商品価値が無くなってしまいます。
そのため、通常スーパー等で販売されているさくらんぼは、甘みの少ない早取りさくらんぼなのです。
さくらんぼは酸っぱいものだ、と思っていらっしゃる方には是非、三関の完熟さくらんぼを試していただきたいと思います。

 三関さくらんぼは、枝に付いた状態で完熟を待ち、一粒一粒丁寧に収穫された、非常に時間と手間を掛けたサクランボです。
これだけ手間を掛けて収穫できる理由は、他県と比較しても作付面積が少ない事があげられます。
収穫量が少ないからこそ、惜しまず手間を掛けられる。
それが、三関さくらんぼが品質日本一と言われる理由でしょう。

〇さくらんぼの原産地と歴史

甘果オウトウ-原産地はイラン北部からコーカサス山脈の南部、トルコ、アルメニア、さらにロシア南部からヨーロッパ西部(ギリシャ、イタリアおよびスペインの山岳地帯)に至るまでかなり広い地域とされている。これらの地域にあった野生種が有史以前という極めて古い時代に栽培化されていたといわれ、ギリシャのテオフラストスが紀元前3世紀に記した「植物の歴史」に書かれた一節が最古の文献とされる。

日本におけるオウトウ栽培は、1868年(明治元年)に当時函館に住んでいたドイツ人ガルトネル(Gaertner.R)が6本の樹を植樹したのが最初であると言われている。
その後、1872年(明治5年)には北海道開拓使が、その翌年には当時の内務省勧業寮が、アメリカ合衆国やフランスから多種の品種の苗木を輸入して全国に配布され、各地で改良が重ねられた。

一方、三関(関口・下関・上関)地区のオウトウ栽培の歴史は明治29年に植え付けされ、昭和20年代から40年代にかけ急速に栽培面積が増加した。三関のサクランボの美味は、日本でも有数。またこの地区の土壌の良さを「旭さし、夕日輝く木のもとに、黄金千両漆億おく」と菅江真澄が「雪の出羽路」に記している。これは800年むかし、平泉の藤原秀衡の時代に、金鶏山のうたいし童謡にあったのを、雄勝地方で土の良さをうたったものである。耕せば耕すほど土の良さが現れるところである。さらには、日照時間の長いことや、摘果時期の寒暖の差が大きいことで糖度が高く、食味のよいサクランボが収穫できる

〇さくらんぼの栽培風景

さくらんぼの剪定作業
さくらんぼの剪定作業
3月
平年は3月中旬ころから剪定作業が行われる。
雪が残る中、栄養が満遍なく行き渡るよう、知識と経験を総動員し、作業にあたります。
さくらんぼの蕾
4月
平年 4月上旬から中旬、さくらんぼを美味しくするために、蕾を間引きします。
さくらんぼ蕾開花直前
4月下旬
平年ゴールデンウイークあたりからさくらんぼの花が咲き始めます。
さくらんぼの花
さくらんぼの花2
5月上旬
ゴールデンウイーク頃に満開を迎えます。
さくらんぼ結実
5月中旬
受粉を終えた雌しべが実に成長します。 
さくらんぼ生育中
6月中旬
色付きながら成長
三関さくらんぼ画像
三関さくらんぼ梱包作業
6月下旬頃
さくらんぼの発送が始まります。